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【コラム】自分の居場所

 

自分が落ち着ける場所、とは。
家のソファ、行きつけのカフェ、教室の窓際、オフィスの屋上、河川敷の原っぱ、部屋の隅っこ…?

どこかひとつでもそんな場所があるのならそれは幸せなこと。
自分が自分でいられる場所は、可能な限り死守したいもの。
犬や猫と同じように、心からの安心感を感じられる場所は生きていくために必要なのです。

そんな場所、ありますか?

 

常に何かに追われている

自分のことは自分が一番分かっていると思っていました。
性格、好きなもの、得意なこと、心と体の限界。

普段からそれなりに考えて生きていたし、友達と深い話もするし、自分はこういう人間だと理解しているつもりで日々過ごしていました。

でもその理解していたつもりの自分は、あっけなく崩れ落ちてしまうものです。

仕事で、勉強で、何かに追われている時。
追われているその時は気付かないのかもしれません。
目の前のタスクをこなすのに必死で、24時間寝ている間も食べている間もとにかくそのことで頭がいっぱいになる。だから寝た気がしないし食べていても吸収してくれないし。

でもそれにさえも気が付かない。自分の状態が当たり前のことだと思っていて疑問も湧かず、止まらない新幹線に乗っている感じ。突っ走るしか無くなるのです。

 

 

そうなってしまった時、自分の状態がおかしいことに気付くのは、体が訴えかけてきた時
高熱かもしれないし難聴かもしれないしめまいかもしれない。
どんなに突っ走っている自分でも気付かざるを得ないほど分かりやすく、体は訴えかけてきます。

それで気付くのは実は遅いのかもしれません。
でも、最悪そうなってしまった時。それは強制的に自分にブレーキをかけるチャンスなのです。
そこから、自分を見つめ直す時間が始まります。

知らなかった自分が顔を出す

強制的にブレーキをかけるというのは、強制的に休むということ。
責任感もプライドも捨てて、一旦新幹線を停車するということ。

乗っているのは飛行機ではないです。新幹線です。
ブレーキをかければ、ちゃんと止まれます。下車することができるのです。

そして、自分と向き合う時間が始まります。

嫌という程向き合っていると、自分では意識していなかった知らない自分を知ることがあります。
起こってしまって事象に対して、なぜ、なぜを何度も繰り返していると、たどり着く。

そして必要なのは、その知らなかった自分を受け止めてあげる勇気と優しさ
自分の味方は基本的には自分だけ、のようです。

 

 

でも、自分ひとりの力で全てをいい方向に導くことは簡単にできると思いますか?

何をしても楽しくない、今まで好きだったものに全く興味がわかない、起こること全てが自分のせいのように思えてしまう。
そんな状態の時、ひとりだけで立ち直るのはかなり難しい…と思います。

だから、周りに力を借りるのです。
家族、友人、恋人、動物。

どれが助けになるかはその時にならないと分かりませんが、確実に言えることは、その時に必要なのは”安心感”です。
きっと、そんな時に助けてくれたものは、自分の中で一生大切にしたいと思えるようになると思います。

でも、助けてもらいたいけど、ペットもいないし誰とも話したくないという時だってあります。
だから、ひとりでも行ける居場所が大事なのです。

 

私にとっての居場所とは

私にとってそれは、神宮球場という場所と、野球という場所。

 

神宮球場という場所は、物理的な場所。

小学生の時からここに通ってきて、夏の夜風やヤクルトファンの温かさ、傘で埋め尽くされるスタンド、パトリックさんの掛け声、全てが愛おしいものになりました。

ここにいると、異様な安心感と、目の前で繰り広げられる熱い試合の刺激、両方を味わうことができます。
どんなに魅力的でエンターテインメント感溢れる場所よりも、ここが好きです。ここにいると、素直な自分が顔を出してくれる。

老朽化が進みいつかは建て替えられてしまうのが悲しいけれど、それでもここは確実に私の居場所になっています。

 

 

野球という場所。

私は今野球をやっているわけではないので、実際に自分のチームもなければや野球仲間がいるわけでもありません。
でも、野球というのは自分の居場所だなと改めて実感した時がありました。

自分を見失い始めてから1年以上経って、ニューヨークに一人旅をした時。

たまたまスケジュール的にヤンキースの試合に行けそうだったのでチケットを取ってみたらたまたま田中将大選手の登板の日でした。
そこで本場の野球を見た時から、帰国後もずっと野球のことしか頭にありませんでした。

アーロンジャッジ選手という新しい尊敬できる選手もできて、毎日仕事をしながらメジャーリーグのアプリで試合経過をリアルタイムでチェックして、お昼休みはヤンキースの英語の記事をひたすら読んで。

とにかく野球の情報が欲しくてたまらなくて、野球関係をビジネスにしたいとも考え始めて。

そこで気付いたのは、野球にハマっている自分が一番元気で、不思議と安心感もあって、そんな自分が一番好きだなということ。
どん底から完全なる社会復帰を目指す中、このニューヨークでの野球観戦が自分にとってかなりのプラスになったと、心から思いました。

これが神宮球場でもなくヤクルトでもなかったのには理由はありますが…
いずれにせよ野球は、自分にとっての居場所なのだと思います。

 

 

居場所が助けてくれる

暗闇から立ち直るために、様々なことを試しました。
今でもふとした瞬間に過去のことが蘇ってきて、戻りそうで怖くなる時はありますが、でも以前とは違うと思っています。

最近、部屋を整理していた時、立ち直ろうとしていた当時のノートや写真を久しぶりに見返して見ました。
その時の自分に言ってあげたいと思いました。「頑張ってるね、大丈夫間違ってないよ。今元気に笑っているから」と。

シーズンが始まらないと球場の中に行くことはできないし、プロの試合を見ることはできない。
でも、球場の近くにはいつでも行けるしシーズンではなくても野球は他にもいつでもある。

 

自分と、自分の大切なものを、ちゃんと大切にしていきたいですね。